木を植える(8)-樹木を過剰に期待しない

 「スギやヒノキの一斉林は災害に弱い」という見方は間違っている。その理由は簡単だ。定義を反転させてみればよい。「天然林は災害に強い」というのが成り立つのだろうか。さらに言えば、「手つかずの原生林であれば崩れない」と断言できるのか。

斜面崩壊が生じた場所と植生(森林か否か、森林の種類)の関係を調べれば、植生タイプの面積が多いほど、崩壊地点数が多くなる。

スギ林100%の地域では、崩壊地は全部スギ林である。人工林というものが存在していなかった時代、崩壊地はすべて自然林で発生したはずだ。もちろん、程度には差がある。植栽前の裸地や幼齢林の時代は成長した森林比べて表層崩壊を起こしやすいというのは事実だろう。手つかずの自然林にはそのような時代が存在しないからだ。

何が言いたいかというと、「森林の状態で災害を無くすことはできない」という事実である。土砂災害が発生するには様々な要素が関係している。要素のどれかが閾値を越えた時に、土砂災害が発生する。森林の状態というのは1つの要素である。

一つ目の図は、土壌養分についての「リービッヒの最少律」を「森林が水を貯える機能」に当てはめて説明したときの図である。この機能の総合評価である貯水量は、それぞれの要素の点数の合計や平均値ではなく、たった一つの要素で決まることが分かる。斜面崩壊の発生についても同様であり、どれか一つの要素が決め手になっているはずだ。もちろん、複数の板(要素)の長さが水面より低くなれば、流出量が多くなり、短時間で限界を超えるだろう。

桶に貯めることができる水の量は、最も短い板の高さで決まる。したがって、同じ資源を用いて桶を作る場合、板の長さを揃えるのが良く、1枚だけ長くしても効果はない。
表層崩壊は裸地・草地で発生し易い。
斜面に堆積(風化)した土壌の「すべり面」が樹木の根系より深い位置にあれば、森林の存在は崩壊防止には役立たず、すべり面にかかる重力に加算される。

(初稿:2018年11月10日 

木を植える(3)-失敗は許されるか

「木を植えて成林させる」、これは試行錯誤、失敗がつきものである。

1.全国植樹祭

植栽後2年目の風景。この頃(1960年代)の植樹祭は、大規模に整然と行なわれるものであった。1970代になって林業のための造林から環境緑化へと、スローガンが変化している。

大規模造林を推進した時代の植樹祭

2.市民参加の植樹祭

一般市民の参加を求めるようになり、植樹は「レクレーション」の一つになったのではないか。(1)、(2)に示した写真、及び、上記の場所は、「植えなければ森林ができない」という場所ではなく、「植えない」という選択肢もあるはずだ。

市民参加の植樹祭、ヤマモモなどの広葉樹が植えられている

しかし、下記の事例では、植えなければ森林にはならない。失敗して当たり前、辛抱強く植え続けて、今日がある。

3.砂丘への植栽

防風垣を作って風を防ぎながら植林するが、吹き寄せられる砂が多いと、植えた苗木を埋めてしまう。

砂におおわれた植栽地

4.何度目かの失敗

海岸防災林:植栽後10年近く生きてきて力尽きたクロマツ。

強い潮風と堆砂で枯れてしまったクロマツ

5.成林した防風林

失敗を重ねて、1800年代に成林したクロマツ林。2011年の東日本大震災による津波で消滅してしまった。

高田の松原 (2004年)
高田の松原の断面

6.煙害地の治山造林

足尾銅山の閉鎖後に植栽が開始されたようだが、活着は困難であった。閉山後も輸入鉱石による精錬が行われていて、二酸化イオウ濃度が無害水準になったのは平成に入ってからである。

渡良瀬川源流の荒廃地(1996年)
1973年の銅山閉山後から治山工事が始まったが、輸入鉱石の精錬によるガス排出は継続していた

(初稿:2018年10月30日 )

森林の崩壊防止機能

 昨日は、月例の植物観察会で三原駅から米田山まで歩いた。花の少ない時期でもあり、取り立てて特徴のある地域ではないが、普通植物の分布を確かめるためには、このような場所を歩くことが大事。広島県ではこのあたりが東限となるハイノキ科のクロキの生育状態を確かめることができた。アベマキが優占しているのは人為的影響なのか、自然環境だけなのか判然としない。両方の理由があるのだろう。
 海側から見ると落葉樹林に覆われているが、北側は採土(?)のため、大きく削り取られて、尾根沿いの登山道まで崩壊しつつある。下を覗き込むと、かなりオーバーハングになっている。そこから見える斜面にはオオバヤシャブシが生えているのみ。あまりにも急だから、植えたとは思えない。種子が風に乗ってきたのだろう。「はげしばり」の別名はヒメヤシャブシが独占すべきではない。

急斜面に見えるのはオオバヤシャブシのみ、「はげしばり」とはよく言ったもの
オオバヤシャブシの株元、崩壊防止の様子が良くわかる

この山は流紋岩が深層まで風化して、粘土質の乾燥した土壌となっている。このオオバヤシャブシが生えていなければ、表面から土壌が流れて、崩壊が進行することだろう。これが森林の崩壊防止機能である。ところが、根系の緊縛力にも限界があるので雨水が一定量以上に浸透すれば、支えきれずに地すべりを引き起こす。その際には、樹木の働きで貯められた土壌がまとめてすべることになる。少しずつ落とすか、まとめて落ちるのか、治山の方法にも2つの側面がある。

本編に、キク科の4(キク亜科の1)を登載した。ヨモギの類は良く分からない。所属が確定できない写真が2種分残っている。
 当ウェブサイトの発信元であるニフティ株式会社から連絡があり、「青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律(平成二十年六月十八日法律第七十九号)」に準拠するため、サイト(ホームページと呼ぶのは適切ではない。法では「特定サーバー」)の作成者、法にいうところの「特定サーバー管理者」の「メールアドレス」を明示せよとのことである。
 当サイトでは「郵便受け (質問・意見)」を設けていたが、上記通達にしたがって、メールアドレスも明示することとした。こういう措置をしなくとも、「インターネット接続役務提供事業者」であるニフティ株式会社は発信者を把握しているし、当局の要請に応じて発信者の住所氏名を開示することはできる。要するに、事業者側の手間を省くということだろう。

津波を受けた海岸林

東北、関東の津波災害は、私にとっても、他人事ではない。ニュースで見聞きする地名の大半は知っている。中でも、宮古市田老町の防潮堤が用をなさなかったというニュースには耳を疑った。その昔、田老海岸のキャンプ場に向かうために、その水門を通った。これだけ頑丈ならば安心だろうと、感心した記憶がある。記録をたどると、1990年7月、沼の浜キャンプ場は素晴らしい場所で、3人の子供達にも良い思い出となっている。
 陸前高田市のマツ林「高田の松原」が、ただ1本を残すだけで、ほとんど跡形もなくなったようだ。防潮林によって津浪を防ぐことはできないが、海水の強いエネルギーを吸収して、被害を緩和する働きがある。今回のように、根こそぎに流されれば、流木として被害を広げる結果を招いたのかもしれない。それでも、多くの場合は役立ってきたはずだ。

 この松原は、気仙川がもたらした砂丘上にあり、潟湖を挟んで市街地の前面、広田湾に面していた。クロマツ海岸林としては、規模が小さい方である(幅100m、長さ2km)。それでも、京都府の天橋立、福井県の気比の松原と共に、三大白砂青松の地として知られ、普段は市民の憩いの場となっていた。\n\n林内に入ると、幹には、白いウメノキゴケが一面に生えていた。海霧を止めていたこと、大気が清浄であることを示し、健康な森林であることを物語っていた。

実は、この松原は、過去に何度も被害を受けて壊滅し、その度に、人々の努力によって再生されてきたものである。この松原だけでなく、日本の砂丘海岸にあるマツ林はすべてが、同じような歴史を持っている。
 明治29年の三陸大津波による被災と防潮林の関係について、青森営林局が行った調査によると、岩手県気仙郡高田町では、以下のようであったという。

  1. 前面に防潮林がなかった場所では、海岸から500m以上離れた田畑も被害を受けた。
  2. ある旅館は、眺望のために海側のマツ林を伐採していたところ、建物がすべて流失した。
  3. 上記旅館から100m離れた別の旅館は、前面にマツ林があったため、被害がわずかであった。

高田の松原の造林と津波の年表

  • 1637年(寛永14年)の大雨と洪水(海からの砂が移動し、水路を塞いだ)
  • 1646年(正保3年)の大洪水 (同上)
  • 1668年(寛文8年) 仙台藩が植林を命じ、7,098本のマツを植えるが失敗に終わる(短期間に植えた)
  • 1668~1673年(延宝元年) 菅野杢之助が私財を投じて18,000本のマツを補植
  • 1835年(天保6年)の陸前沖地震津浪により、大部分が枯死、集落を守る
  • 藩によって再造林された林は、アカマツ、クロマツ、ケヤキ、スギ、広葉樹の下木の林になった
  • 1896年(明治29年)の三陸津波で、大きな効果をあげるが、ほとんどのアカマツが枯れる
  • 地震後に再造林を行う (最も高齢の樹はこの時のもの)
  • 1933年(昭和8年)3月の三陸津波で、被害軽減の効果が認められた\nマツ林が途切れている場所、伐開された場所では多くの家屋が倒壊
  • 1935年(昭和10年)~1940年(昭和15年)クロマツ植林 (現在の主要部)\n
  • 1960年(昭和35年)のチリ地震津波、一部が被害を受ける
  • 地震後にクロマツを補植する、自然侵入のアカマツも混じる
  • 1968年(昭和43年)の十勝沖地震、干潮時であり、防潮堤で守られた
  • 2011年(平成23年)の東日本大震災の津波で1本のクロマツを残し、壊滅
  • 2012年4月 面積を広げ、再造林が開始される(と希望する)

引用文献

  1. 松岡廣雄(1992)岩手県の海岸林、村井宏・他(編):日本の海岸林、113-116.ソフトサイエンス社、東京
  2. 小田隆則(2003)海岸林をつくった人々、254 pp. 北斗出版、東京